雨の日のうさぎがうらやましすぎて、ちょっと腹が立った
雨が降っている。今日も雨だ。
朝から空は暗いし、外に出れば濡れる。電車に乗るころには、靴の中の状態が気になりはじめる。
傘は邪魔で、雨は冷たくて、洗濯物は乾かない。
誰に文句を言えばいいのか分からないので、とりあえず天気に文句を言う。
「もう、いいかげんにしてくれ」
そんな気持ちで家に帰ると、カミがいた。
……涼しそうだな、おい。
カミの一日には、雨の予定が入っていない
こっちは雨の降っているなか、仕事に行って、帰ってきてもまだ雨の心配をしている。
一方のカミは、何ひとつ困っていない顔をしている。
通勤はない。傘もいらない。濡れた靴下を我慢する必要もない。
うらやましい。実に、うらやましい。
もしカミがしゃべれたら、きっとこう言うだろう。
「雨? だから何?」
「外に出られない? もともと出る予定ないけど?」
「洗濯物が乾かない? それ、僕に関係ある?」
腹が立つ。
いや、カミは悪くない。悪くないのだが、こういうときのうさぎは、妙に幸せそうに見える。
人間は、まだ来ていない明日に負けている
思えば人間は、起きてもいない出来事に、ずいぶん時間を使っている。
日曜の夜が、その代表だ。
月曜はまだ来ていないのに、すでに月曜に負けている。ごはんを食べながら明日の仕事を思い出し、風呂に入りながら明日の会議を思い出し、布団に入ってからも、明日の自分に謝っている。
休みはまだ半日残っているのに、気持ちはもう半分、出勤している。
雨の日も同じだ。
今日の雨に濡れるだけでは足りなくて、明日の雨の予報まで確認して、まだ降っていない雨で、先に濡れている。
その横で、カミは、今日の床の涼しさだけを味わっている。
雨なら雨。涼しければ涼しい。それだけ。
カミの一日は、その日のうちに完結している。明日の分まで、先に憂鬱になったりしない。
どちらが賢いのか、だんだん分からなくなってきた。
いや、たぶん、答えは出ている。
帰ってくることを疑わない
雨の日の帰り道は、一日のなかでいちばんしんどい。
靴下は湿っているし、傘を持つ手は冷たいし、「なんで私は雨の中を歩いているのか」と、人生の根本から疑いはじめる。
そんな状態で玄関を開けると、カミがいる。
いつもの場所で、いつもの顔でこちらを見ている。駆け寄ってくるわけでもなく、感動の再会でもない。せいぜい「あ、いるじゃん」くらいの温度だ。
でも、その顔には、私が帰ってこないかもしれないという発想がまるでない。
明日の雨を知らないカミは、私が今日ちゃんと帰ってくるかどうかも、心配していない。「遅いな」も「大丈夫かな」もない。毎日帰っているのだから、今日も帰ってくる。ただ、それだけのことだ。
考えてみれば、これはなかなかすごいことだ。
私は一日じゅう、雨や仕事や明日のことで頭がいっぱいで、心までずぶ濡れで帰ってきた。そのくたびれた私を、何ひとつ疑わず、何ひとつ心配せず、いつもの場所で待ってくれる相手がいる。
その顔を見ると、不思議と、抱えていた心配が少しだけ楽になる。
「あ、今日もこれでいいんだ」と、思えてくる。
私は、カミを支えているのは自分ばかりだと思っていた。
ごはんを出して、部屋を整えて、カミの暮らしを守っている。だから、そう思っていた。
でも、雨の日にくたびれて帰ってきた私の心を支えてくれていたのは、カミのほうだった。
濡れた靴下で玄関に立ちながら、思う。
うさぎって、いいよな。