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今年も、もう少しで終わる。
これは、その年の最後に撮ったカミの写真だ。特別かわいい顔をしているわけでもない。何か芸をしているわけでもない。ただ、いつものカミが写っているだけ。
でも、僕はこういう写真が好きだ。
むしろ、何気ない顔をしている写真ほど好きだ。なぜなら、そこに”いつもの毎日”が写っているから。

昔の僕は、「長生きしたい」という言葉があまり好きじゃなかった。
テレビでもネットでも、「長生きしたいです」「健康で長生きするのが幸せ」そんな言葉を聞くたびに、どこか違和感があった。長生きって、そんなに大事なのかな。長く生きることが、そんなに偉いことなのかなって。
生きる長さって、願ってどうにかなるものじゃない。運みたいなものもあると思っていた。だから僕は、長生きそのものを願いたいと思ったことが、あまりなかった。

でも、カミと暮らして、その考えが変わった。
病気と闘っているカミを見ていると、自然と思ってしまった。「来年も、一緒に年を越そうな」って。「もっと長く、一緒にいたいな」って。
不思議だった。
あれだけ「長生きしたい」という言葉に何も感じなかったのに、カミに対してだけは、心の底からそう思った。

たぶん、”長生きしてほしい”んじゃなくて、この時間を失いたくないんだと思う。
毎日ごはんを食べて、部屋を走り回って、眠そうな顔をして、こっちをじっと見てくる。そんな当たり前の時間が、ただ、ずっと続いてほしかった。
だから今は思う。
長生きしたいって、「死にたくない」じゃない。“好きな存在と、少しでも長く一緒にいたい”、それだけなんだと思う。

人は、一人ではなかなか「生きたい」と思えないことがある。
でも、大切な誰かができると変わる。「明日も会いたい」「また来年も一緒にいたい」。その気持ちが、生きる理由になっていく。
そしてもう一つ、ずっと思っていたことがある。
僕が「長生きしてくれよ」と願うみたいに、カミも、「まだ一緒にいたい」と思ってくれていたら嬉しいなって。
もちろん、本当の気持ちはわからない。でも、名前を呼ぶと走ってきたり、隣で安心したように寝たりする姿を見ると、少しくらいはそう思ってくれていたんじゃないか。そんな気がしていた。

【お互いがお互いの時間を願える】
家族って、本当はそういうものなのかもしれない。
長く生きることそのものじゃなく、“誰かと一緒に生きたい”と思えること。
それが、生きる意味なんじゃないかと、カミが教えてくれた。