夜。

ようやく一日の仕事を終え、布団に入る。

ああ、今日も疲れた。

もう何もしたくない。誰にも邪魔されず、ゆっくり眠りたい。

そう思って目を閉じた、そのときだった。

ガリガリ、ガリガリ。

……ん?

何かが布団のそばをホリホリしている。

犯人はもちろん、カミだ。

「カミ、どうした?」

目を開ける。

そして、カミと目が合った。

次の瞬間――。

ピュッ!

顔面に、温かい液体が降り注いだ。

「うわああああ! 何すんだ、お前!」

そう。カミの必殺技、顔面シッコである。

寝起きの飼い主に向かって、まさかの先制攻撃。

しかも、狙いがいい。

なぜ、よりによって顔なのか。

なぜ、寝ている人間をわざわざ起こしてからなのか。

せめてトイレでしてくれ。

いや、トイレでしてくれれば、そもそも何の問題もないのだ。

顔にシッコをかけられた僕は、パジャマで拭きながら洗面台へ直行する。

特に目に入ったときは大変だ。

以前、カミのシッコが目に入ったとき、視界がおかしくなり、目の中で白いものが固まるような感覚まであった。

もう、眠気なんて一瞬で吹き飛ぶ。

目を洗いながら思う。

「こいつ……いつか絶対に仕返ししてやる」

ところが、当の本人はというと――。

僕が怒っているのを横目に、さっさと逃げていく。

そして、安全な場所にたどり着くと、なぜか得意げな顔。

いや、待て。

お前、今の状況が分かっているのか?

こっちは顔面にシッコを浴びて、夜中に洗面台で目を洗っているんだぞ。

それなのに、その顔は何だ。

「何か問題でも?」

そう言いたげな、あの悪い顔。

まったく反省しているようには見えない。

むしろ、こちらの反応を楽しんでいるようにすら見える。

なぜカミは飼い主にシッコをかけるのか?

ここで気になるのが、なぜカミが僕を狙ってシッコをかけるのか、ということだ。

毎日ごはんを用意し、掃除をし、愛情を注いでいる。

それなのに、返ってくるのが顔面シッコ。

いったい、僕が何をしたというのか。

もしかして、日頃のうらみを晴らしているのか?

「いつも撫でやがって」
「勝手に部屋を掃除しやがって」
「わらマット捨てやがって」

……そんなことを考えているのだろうか。

もちろん、カミが本当にそんな恨みを抱いているかどうかは分からない。

ただ、うさぎには、尿を吹きかけて自分のにおいをつけるマーキング行動がある。

たとえば、ほかのうさぎがいる場所に自分のにおいを残したり、人間に尿をかけたりすることがある。自分の存在や縄張りを示すための行動と考えられているのだ。

特に、オスのうさぎは性ホルモンの影響で、こうした行動が出やすい。

つまり、カミは僕を嫌って攻撃しているというより、自分のにおいをつけようとしている可能性がある。

獣医師による解説でも、うさぎが人に尿をかける行動はマーキングの一種として説明されている。

……なるほど。

そう考えると、少しだけ納得できる。(液体ではなく乾いた形での好意なら)

少しだけ、だ。

だって、マーキングするにしても、なぜ顔なのか。

なぜ、僕が寝た瞬間なのか。

なぜ、毎回こんなに絶妙なタイミングなのか。

縄張りの主張だとしても、主張の仕方があまりにも大胆すぎる。

カミにとって僕は、自分の縄張りの一部なのだろうか。

それとも、ただの動くトイレなのだろうか。

できれば前者であってほしい。

いや、どちらにしても顔面はやめてほしい。

飼い主の反撃。そして始まる第二ラウンド

さて、顔面シッコを浴びた僕も、黙っているわけにはいかない。

洗面台で目を洗い、ようやく落ち着いたころには、怒りがふつふつと湧いてくる。

「カミ、お前なあ……!」

目の前には、あの悪い顔。

そこで僕は、仕返ししたい気持ちを抑えきれず、カミの顔に唾をつけてしまったことがある。

もちろん、うさぎにとっては嫌なことだろう。

カミはすぐに両手を使い、顔についたものを必死に拭き始めた。

ゴシゴシ、ゴシゴシ。

ものすごく嫌そうな顔をしている。

その姿を見て、僕は思った。

……いや、待て。

お前も嫌そうな顔をするのか。

こっちはさっきまで、目にシッコが入って大騒ぎしていたんだぞ。

それなのに、ちょっと顔を汚されたくらいで、そんなに必死に拭くのか。

いや、そもそも先にやったのは僕ではない。

お前だ。

お前が先に顔面シッコをしたんだ。

……と、言いたいことは山ほどある。

でも、カミは当然、何も答えてくれない。

ただ、両手で顔を拭き続けている。

僕も顔を拭く。

カミも顔を拭く。

夜中に、人間とうさぎがそろって顔をゴシゴシしている。

事情を知らない人が見たら、何の儀式だと思うだろう。

しかも、お互いに不満そうな顔。

なんだ、この光景は。

我が家では、夜な夜なこんな攻防が繰り広げられていたのである。

……ただし、仕返しはやめておいたほうがいい。

うさぎは体が小さく、顔や目もデリケートだ。人間が嫌がることをやり返しても、カミには「反省」よりも不快感や警戒心が残るだけかもしれない。

それに、顔に何かをつけるのは、もうお互いにやめたほうがいい。

 悪うさぎカミの本当の目的は?

結局のところ、カミが僕にシッコをかける本当の理由は、本人に聞いてみなければ分からない。

ただ、うさぎのマーキング行動を考えると、飼い主への嫌がらせだと決めつけることはできない。

それでも、僕が寝た途端に近づいてきて、目が合った瞬間に発射するあの流れ。

そして、逃げた先で見せる、あの悪そうな顔。

どうしても思ってしまう。

「絶対、分かってやってるだろ……」

カミ。

ごはんもあげている。

部屋も掃除している。

毎日、ちゃんとお世話している。

それなのに、なぜ顔面シッコなのだ。

せめて、寝ている間くらいは平和に過ごさせてくれ。

……。

そう願いながら、僕は今日も布団に入る。

今夜こそ、何事もなく眠りたい。

そう願いながら、布団を頭まですっぽりとかぶる。

これなら顔面シッコも防げるだろう。

……いや、待て。

そもそも、なぜ僕がここまで警戒しなければならないのだ。

ここは僕の寝室だぞ。

そう思いながら、布団の隙間から、そーっとカミの様子をうかがう。

いた。

カミが、こっちを見ている。

じーっ。

……。

見ている。

しかも、あの顔だ。

悪い顔である。

かわいいうさぎのはずなのに、今のカミからは、かわいさよりも不穏さが漂っている。

「カミ……もう戦いはやめよう」

小さな声で語りかけてみる。

「ごはんもあげる。わらマットも捨てない。だから、もう顔面シッコは勘弁してくれ」

カミは答えない。

ただ、じーっと僕を見ている。

……だめだ。

まったく話が通じている気がしない。

僕はそっと布団の隙間を閉じた。

今夜はもう、何も見なかったことにしよう。

かわいい、かわいい、カミのために。

それから数分後。

布団の中で、僕はゴロゴロ転がっていた。

ゴロゴロ、ゴロゴロ。

暑い。苦しい。重い。

布団をかぶりすぎて、酸素が足りない気がする。

しかも、身動きが取れない。

もう寝るどころではない。

……でも、頑張る。

すべては、かわいい、かわいい、うちのカミのため。