うさぎロスで苦しいあなたへ|楽しかったはずなのに苦しい思い出ばかり浮かぶ理由
うさぎロスになると、不思議なことがあります。
本当は楽しい思い出がたくさんあったはずなのに、頭に浮かぶのは苦しかった日のことばかり。
「もっと早く病院へ連れて行けばよかった」
「あの時、違う選択をしていたら」
「もっと知識があれば」
「もっと一緒にいてあげれば」
そんな「もっと」が何度も何度も頭の中を巡ります。
私もそうでした。
思い出そうとするのです。
初めて抱っこした日のこと。
一緒に笑った日のこと。
変な格好で寝ていた日のこと。
でも、それらはすぐに消えてしまいます。
代わりに浮かんでくるのは、具合が悪くなった日の顔。
苦しそうだった姿。
最後に見たあの日のこと。
どうしてなんだろう。
あんなに幸せな時間を過ごしたはずなのに。
私はずっと、その理由が分かりませんでした。
楽しかった時間より、苦しかった時間を思い出してしまう
最初は、自分を責めました。
「私はうさぎを幸せにできなかったんじゃないか」
「苦しい思いばかりさせてしまったんじゃないか」
そんなことばかり考えていました。
でも、ある日ふと思ったのです。
もし、本当に幸せじゃなかったのなら
どうして私は、こんなにも「あの子のこと」を心配しているんだろう。
苦しい思い出ばかり浮かぶのは、それだけ心配したから
私は今、こう考えています。
苦しい思い出ばかり浮かぶのは、それだけ真剣に心配したから。
「痛くないかな」
「苦しくないかな」
「もっとできることはないかな」
そうやって毎日考え続けたからこそ、その記憶は強く残っているのだと思います。
人は、大切な人が苦しんでいる時ほど必死になります。
だから、その時間は心の奥深くに刻まれる。
逆に、楽しい時間というのは安心しているからこそ、自然に過ぎていきます。
笑っていた日。
牧草を食べていた日。
気持ちよさそうに眠っていた日。
そんな毎日は「当たり前」だったから、記憶よりも心の中に溶け込んでいるのです。
だから思い出せないのではありません。
思い出になっていないくらい、自然で幸せな毎日だったのです。
もし楽しい思い出ばかり浮かぶ人がいるなら
反対に、楽しい思い出ばかり浮かぶ人もいるかもしれません。
私は、それも素敵なことだと思います。
きっと、その人は毎日笑っていたのでしょう。
たくさん遊んで
たくさん写真を撮って
たくさん笑ったのでしょう。
つまり、
苦しい思い出が浮かぶ人も
楽しい思い出が浮かぶ人も
どちらにも共通していることがあります。
それは、
その子に夢中だったこと。
その子を愛していたこと。
その子との時間が、自分の人生の中で特別だったということです。
「もっとできた」は、一生なくならない
ペットロスになると、多くの人が言います。
「もっとできた」
でも私は思います。
本当に愛していた人ほど、「もう十分やった」とは思えないのではないでしょうか。
どれだけ頑張っても
どれだけ看病しても
どれだけ一緒にいても
亡くなったあとには、
「もっと」
が残ります。
それは後悔というより、それだけ愛していた証拠なのかもしれません。
それでも前を向いていい
私は、「早く立ち直りましょう」とは思いません。
泣きたい日は泣けばいい。
思い出したい日は思い出せばいい。
写真を見て涙が出るなら、それでいい。
でも
悲しみだけで終わらせなくてもいいとも思っています。
うさぎと過ごした時間は終わりました。
でも、うさぎと生きた時間は終わっていません。
今でも私は、あの子に教えてもらったことを思い出します。
命は短いこと。
今日という日は当たり前ではないこと。
小さな幸せは、案外すぐ近くにあること。
その全部を教えてくれた先生でした。
君との時間はなくならない
君は先に行ってしまった。
正直、まだ会いたい。
もう一度抱っこしたい。
もう一度名前を呼びたい。
でも、君と過ごした時間まで消えたわけじゃない。
君は今も私の考え方の中にいる。
優しくなれた日も。
命を大切に思えた日も。
誰かを心配できた日も。
全部、君が残してくれたものだ。
だから私は、君を忘れない。
忘れないまま、これからも生きていく。
そして、いつかまた会えた時。
「こんな人生だったよ」
「君と過ごした時間のおかげで、こんな人になれたよ」
そう笑って話せるように、私は今日を生きていこうと思う。
君がくれた幸せに、胸を張れるように。